(1)総相Q&A (別即総を明かす) |
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Q1: |
総相とは何ですか? |
A1: |
総相とは、たとえば屋舎です。 |
Q2: |
屋舎とは言っても、椽や柱や梁や瓦など(諸縁)の集まりですよね。それ以外に屋舎という実体なんて何も無いんじゃないですか。それなら、なにを以て屋舎というのですか? |
A2: |
椽が屋舎なのです。椽なら椽だけでそのまま屋舎を成り立たせているのです。全ての物事はいずれも縁起相由の法ですね。ひとまず柱や梁などの他の縁力を奪って、ただ椽のみに注目してみましょう。もし、椽が無ければ屋舎は完成しませんね。つまり、椽のみに全力があって、屋舎を完成するといえます。したがって、椽というとき屋舎も完成されているのであって、椽がなければ屋舎は無いのです。だから椽は屋舎なのです。 |
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※部品のみであって全体は無いとすれば総相無体となる。また、部品が無いのに全体のみが有るとすれば自然生の過となる。 |
Q3: |
もし、椽のみが独り屋舎を完成するのなら、他の部品である瓦や柱などが無くても屋舎は成り立つのですか? |
A3: |
もし、瓦や柱が無ければ、椽も有り得ません。縁起相融して屋舎を成り立たせているのですから、椽が無ければ屋舎を成り立たせることもありません。椽とは因縁のことです。したがって、未だ屋舎が成り立っていないときは、屋舎を作り上げるための因縁が無いのですから、それは単なる材木にすぎないのであって、〔屋舎を構成する〕椽とは呼べません。しかし、それが椽であるからには、屋舎を成り立たせているのです。 |
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※これに二つの見方がある。一には、瓦や柱を屋舎の中に摂して、すべて椽によって完成されたものであると見る見方。二つには、瓦や柱があっても、椽が無いときは屋舎は完成しないのだから、屋舎を完成する力は全く椽に奪われて、椽のみが屋舎を完成すると見る見方である。 |
Q4: |
もし、椽などの諸縁が各々全力を出す(それのみで屋舎を完成させる)のではなく、それぞれが少力を出すのみで(柱なら柱、椽なら椽のみを成立させるのみで=分成)、それらが共に屋舎を作り出すのだと言えば、どのような過失があるのですか? |
A4: |
断常二過があります。たとえば、椽なら椽が屋舎の全体を成り立たせると見るのではなく、それぞれの一部分のみの完成を担うと見るのであれば、椽以外の柱や梁などの諸縁も各々屋舎の一翼を担うのみです。そうすれば、屋舎といっても、単に多くの椽や柱などの材料の集合体であるにすぎず、屋舎というものは成立しません。これは断過です。椽にも柱にも、それぞれが屋舎の全体を完成させる全力があってこそ、不断不常なのです。このように、各々が全力を出さず少力であれば、屋舎を成立させることができないのです。それなのに、全体としての屋舎があると間違えて捉えるならば、それは因が無い(無因)のに屋舎のみが成立していることになります。そんなことは実際にあり得ないので、これは常過となってしまいます。かりに、椽が屋舎を全成しないとすれば、一の椽を取り除いても、屋舎が存在することになります。だから、椽に全力があって全屋舎を成り立たせているのです。このように、椽以外の柱や梁や瓦などの諸縁についても、また全力があって屋舎を全成するのです。 |
Q5: |
椽が一つぐらい無くても屋舎と言えるのではないですか? |
A5: |
でも、それはつぶれた屋舎であって、十全な屋舎とは言えません。 |
Q6: |
屋舎が椽であるなら、椽以外の瓦や柱も椽なのですか? |
A6: |
総じて椽なのです。なぜなら、椽が無いなら屋舎だって無いですね。そうすれば、柱や瓦だって成立しないのです。(これは、他の柱や梁などについても同じことが言えます。) |
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(2)別相Q&A (総即別を明かす) |
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前述の如く、総相(屋舎)は、別相(柱・椽など)によって成立するのであり、別相が無ければ総相は成立しない。ここでは逆に、総相によって別相が成立することを明かす。たとえば、屋舎を離れて別に柱・椽などは無いのだから、屋舎を以て柱とし椽とする如く。総相を以て別相とする。 |
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Q1: |
もし、総が即ち別なら、やっぱり総なんて無いんじゃないですか? |
A1: |
総が即ち別だからこそ、総が成立するのです。たとえば、椽が即ち屋舎だから、屋舎を総相と名づけたように、屋舎が即ち是れ椽だから、総相は即ち別相であるというのです。かりに、椽に即さない屋舎などと言えば、その屋舎は真の屋舎とはいえません。自然発生的に成立した屋舎ということになるからです。こんな屋舎は実際には存在せず、観念上のものにすぎません。だから、総と別とは相即しているのです。総相とは別即総の総相であり、別相とは総即別の別相なのです。 |
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※なお、この総別相即について、「体の相即」と「義の相即」という二つの見方がある。体の相即とは、これまで論じてきたとおり。義の相即とは、総相というものが、その内に含んでいる多くの別を総じ束ねて総というのであり、別相とは総を引き分けて別というとする見方のこと。 |
Q2: |
もし、相即するのであれば、無差別であって、別なるものは無くなるのではないですか? |
A2: |
相即するからこそ、却って別を成立するのです。総は別によって総といい、別は総によって別というからです。もし、総と別とが違背して相即しなければ、総とか別という呼び名もいらないでしょう。総といっても別といっても、同じ一法の上における見方の違いなのです。 |
Q3: |
もし、総相との相即の上に成り立つ別相であるとしないならば、どのような過失があるのですか? |
A3: |
相即しなければ断常二過に墮してしまいます。総相と相即した別相がなければ総相もあり得ません。別相である椽や瓦がなければ、総相である屋舎も成立しませんね。このように、別相のみが独立して存在すると見れば、それは断過に堕してしまいます。また、逆に別相である椽や瓦がないのに総相である屋舎があるとすれば、無因ということになり、常過に堕してしまいます。 |
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(3)同相Q&A |
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同相とは、椽などの諸縁が和合して屋舎を作るとき、椽などの諸縁が互いに屋舎を作ることを妨げない。つまり、椽は瓦が屋舎を作ることを妨げず、瓦は椽が屋舎を作ることを妨げないで、相互に違背しない。それ故に、椽は「屋舎であるところの椽」というのであり、瓦を「屋舎であるところの瓦」という。このように、屋舎を構成する各要素は、各々が違うものを形成するのではなくて、一つの屋舎を共に形成するのであり、各構成要素は互いにその用きを妨げない。したがって、各構成要素は共に屋舎を形成するという意味において相違するものではない。このことを同相という。 |
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Q1: |
同相は総相とどのように違うのですか? |
A1: |
総相とは諸縁和合の屋舎をいいます。かたや同相とは、総相の中にある椽などの諸縁について、その体が各々別ではあっても、屋舎を作るという意味において相違せず、その屋舎を形成するという用きの力は斉しいから、同相というのです。 |
Q2: |
もし、そのような同でないとすれば、どのような過失がありますか。 |
A2: |
断常二過があります。同相であってこそ屋舎を形成するのに、もし、不同であるとすれば、椽などの諸縁が互いに違背してしまい、一つの屋舎を形成しないので、これは断過となります。また、このように各構成要素が相違するなら屋舎を形成しないのに、相違していてもやはり屋舎はあるのだと見るならば、それは常過となります。 |
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(4)異相Q&A |
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異相とは、椽などの諸縁が、椽は椽、柱は柱、瓦は瓦というように、それぞれの形に随って、長短方円などと相が差別していることをいう。 |
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Q1: |
異相というのなら、不同ということですか? |
A1: |
いいえ。異相だからこそ同相なのです。もし、異相という見方がなければ、たとえば椽が一丈二尺なら、瓦も一丈二尺となってしまうでしょう。これでは瓦としての本分が破壊されてしまいます。同相のところでも申しましたが、椽や瓦などの諸縁の体は各々別別でありつつ、しかも同じく屋舎を構成し成り立たせているのです。もし、異相という見方を欠けば、同相という見方も失われてしまいます。だから、同と異とは相即しているのです。椽や柱や瓦や梁などが集まって共にその用きを発揮し、一つの屋舎を形成しているのですから、柱や椽などの構成要素はすべて斉しく屋舎を形成する縁となっています。したがって、諸縁は同相のまま異相であるということが理解されます。 |
Q2: |
それでは、異相と別相とには、どのような違いがあるのですか? |
A2: |
別相は、一つの屋舎について椽や柱などといった多くの徳相が各々別であることをいいます(しかし、体は同じである。)。かたや、異相とは、椽などの諸縁を互いに相対的に見て(相望して)、これらの体は異なっているというのです。 |
Q3: |
もし、異相という見方を欠いたならば、どのような過失がありますか? |
A3: |
断常二過があります。もし、異相という見方を欠けば、瓦が椽に同じて一丈二尺となりますね。そうすれば、瓦としての本分が破壊されてしまい、椽も瓦も屋舎を成り立たたせません。これは断過です。さらに、それでも屋舎は有るのだと執着するなら、それは無因にして屋舎が存在するとするのですから、これは常過となります。 |
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(5)成相Q&A |
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成相とは、椽などの諸縁によって屋舎が成立するのであり、屋舎が成立するから椽などを諸縁と名づけること。もし、椽などが屋舎を成立しなければ、屋舎と椽の両方ともが成立しない。しかし、いま現に椽などの諸縁が屋舎を成立しているのだから、椽などの立場から屋舎に対して成相であるというのである。 |
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Q1: |
現に椽などの諸縁を見るに、各々が自己の本分を守っていて屋舎とは成っていないように思えます(これを壊相という)。なのに、諸縁はどうして屋舎を形成する(成相)のですか?成相と壊相とは矛盾してはいませんか? |
A1: |
椽などの諸縁が各々自己の本分を守って屋舎と成らない(壊相)からこそ、ここに屋舎が成立するのです(成相)。どうしてかと言えば、もし、椽などが自性を改めて屋舎の形となったならば、本来の椽の本分(椽が椽である所以)を失うことになり、屋舎を形成することはできません。いま、椽は椽の本分を守っていて屋舎とはならないから、椽たり得るのであって、椽が椽だからこそ、屋舎を形成することが出来るのです。逆にもし、椽が屋舎を作らないのなら、椽などを以て諸縁と名づけることはできなくなるでしょう。これを椽と名づけるからには、それは必ずや屋舎を形成するのです。これが成相ということです。 |
Q2: |
もし、成でなければ、どのような過失があるのでしょうか? |
A2: |
成は壊に即した成でなければ、断常二過となります。なぜなら、屋舎はもともと椽などの諸縁に依って成立しています。かりに屋舎を成立することがないとすれば、もちろん屋舎の存在は有り得ません。これは断過です。また、屋舎を成立させるからこそ、椽を椽と名づけることができるのであって、もしも屋舎を成立しなければ、それは椽ではありません。これも断過です。かたや、もし、椽が屋舎を成立しないとするのに、それでも屋舎は存在していると間違って捉えれば、これは常過となります。また、成でないと言えば、それは、椽に屋舎を作るという本分が無いということのはずですが、それにもかかわらず椽と名づけるのなら、これも常過となります。 |
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(6)壊相Q&A |
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壊相とは、椽などの諸縁が、各々自性を守っていて、もとより屋舎の形とならないことをいう。 |
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Q1: |
現に椽などの諸縁を見るに、確かに屋舎を形成している(成相)。それでは、どうして、椽などは、もともと屋舎とはならない(壊相)と説くのですか?(問者は成相の立場から壊相を疑う) |
A1: |
当たり前のことですが、一本の椽が屋舎に変身したりはしませんよね。そんなことがあったら、たいへんです。屋舎の中に屋舎がひしめき合っていることになるわけですから、そんなの屋舎とは言えません。だから椽などの諸縁は各々自性を守っていて屋舎とは成らない(壊相)と説くのです。椽は椽としての本分を動かさず、屋舎と成ったりはしない。だからこそ、ちゃんとした屋舎が成り立つのです(成相)。屋舎が現に成立しているからには、椽などの諸縁は屋舎となっていないのであり、これらが壊であると言えるのです。 |
Q2: |
もしかりに、諸縁である椽などが総相である屋舎になってしまうと考えるなら、どのような過失がありますか? |
A2: |
諸縁が屋舎となって壊相でないとすれば、断常二過が生じます。もし、椽が屋舎に成るとすれば、椽としての自己の本分を守らないことになります。そうすれば、屋舎が形成される縁が無いのですから、屋舎は存在することができません。ですから、これは断過です。また、それにも拘わらず、屋舎があるのだと執すれば、それは常過となります。 |